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毎月(まいつき)心がけて(こころがけて)来た(きた)言葉(ことば)の意味(いみ)とその概要(がいよう)」  平成(へいせい)23年(ねん)6月(がつ)21日(にち) 

   松(まつ)本(もと)時(じ)(しゅう)会(かい) 代表  

平成21年1月から平成(へいせい)23年(ねん)6月(がつ)の間の毎月ノートに記載してきた文章から、抜粋した。

1 一(いっ)燈(とう)照(しょう)隅(ぐう)・万(ばん)燈(とう)照(しよう)国(こく)
----平成(へいせい)21年(ねん)1月(がつ)

安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)(1898.2.13~1983.12.13--85才)はこの言葉(ことば)に深く(ふかく)感(かん)銘し、【一燈照隅】を己(おのれ)の行(ぎょう)として、この一事(いちじ)を呼び掛け続(よびかけつづ)けた。

一つ(ひとつ)の灯火(とうか)を掲げて(かかげて)一隅(いちぐう)を照らす(てらす)。そうした誠心(せいしん)誠意(せいい)の歩み(あゆみ)を続ける(つづける)と、いつか必ず(かならず)共鳴(きょうめい)する人(ひと)が現れて(あらわれて)くる。一(いっ)灯(とう)は二(に)灯(とう)となり三(さん)灯(とう)となり、いつしか万灯(まんどう)となって国(くに)をほのかに照らすようになる。だからまず自分(じぶん)から始めなければ(はじめなければ)いけない。自分(じぶん)から率先(そっせん)始める(はじめる)事(こと)を格言(かくげん)では、「まず、隗(かい)より始めよ(よりはじめよ) !」という言葉(ことば)がある。そのためには自分(じぶん)自身(じしん)が明り(あかり)にならなければいけない。それは手燭(てしょく)を持つ(もつ)ことではない。そんなものは吹き消されたら(ふきけされたら)それっきり真っ暗(まっくら)になってしまう。そうではなく、自分(じぶん)自身(じしん)が発光体(はっこうたい)になるのだ。--出展(しゅってん)等(など)~魏(ぎ)の国(くに)の王(おう)は、「我が国(わがくに)の国宝(こくほう)は、径(けい)寸(すん)の金貨(きんか)十枚(じゅうまい)である」と言う(いう)。それに対して(たいして)斉(せい)王(おう)は、「私(わたし)の国(くに)には、そんな宝(たから)はない。だが、それぞれの一隅(いちぐう)をしっかり守って(まもって)いる人材(じんざい)がいる。それぞれが自分(じぶん)の守る(まもる)一隅(いちぐう)を照らせば(てらせば)、千里(せんり)を照らす(てらす)。これこそ我が国(わがくに)の宝(たから)だ」と。一人(ひとり)ひとりの灯(ひ)は小さい(ちいさい)けれど、それを燃やし続ければ(もやしつづければ)、一人(ひとり)増え(ふえ)、二人(ふたり)増え(ふえ)、やがては万(まん)燈(とう)になり、国中(くにじゅう)を照ら(てら)すようになる。一つ(ひとつ)のことを何十年(なんじゅうねん)も続けて(つづけて)いけば、必ず(かならず)ものになるものだと言って(いって)います。天台宗(てんだいしゅう)の開祖(かいそ)・最澄(さいちょう)も『(()一隅(いちぐう)を照らす(てらす)、これ即ち(すなわち)国宝(こくほう)なり(世(よ)の一隅(いちぐう)を明るく(あかるく)する人(ひと)こそ、国(くに)の宝(たから)である)』と言って(いって)います。~

2 呼吸(こきゅう)と吸呼(きゅうこ)を再考(さいこう)----平成21年2月
「呼(こ)」が息(いき)を吐いて(はいて)、「吸(きゅう)」が息(いき)を吸う(すう)ことです。人(ひと)を呼ぶ(よぶ)時(とき)、息(いき)を吸いながら(すいながら)呼べます(よべます)か?難しい(むずかしい)ですよね。息(いき)を吐きながら(はきながら)なら「おーい!」と呼ぶ(よぶ)こともできますよね。因み(ちなみ)に、深呼吸(しんこきゅう)や腹式(ふくしき)呼吸(こきゅう)は体(からだ)に良いと言われて(いわれて)いますが、「呼吸(こきゅう)」と書く(かく)ように、最初(さいしょ)に息(いき)を吐き出せる(はきだせる)だけ吐き出す(はきだす)のが体(からだ)に、また、精神(せいしん)に良い(よい)そうです。もっと、穿って(うがって)いえば、人(ひと)のいうことをまず、飲み込み(のみこみ)、そして、理解(りかい)することが肝要(かんよう)かと思います(おもいます)。その後(そのご)、意見(いけん)を言う(いう)ことも大切(たいせつ)なことではないしょうか。ある意味(いみ)で、陰(いん)と陽(よう)という言葉にも結びつく(むすびつく)言葉(ことば)ですよね。もう一度(もういちど)、現代(げんだい)の思想(しそう)の波乱(はらん)の時期(じき)にこのようなことも再考(さいこう)したらと思います(おもいます)。
何(なん)でもありあり、拝金(はいきん)主義(しゅぎ)に成りすぎて(なりすぎて)はいないでしょうか?? たまには、息(いき)を吐いて(はいて)、深呼吸(しんこきゅう)をすることが大切(たいせつ)ですね。

3 浩然(こうぜん)の気(き)----平成21年3月
「浩然(こうぜん)の気(き)」--人間(にんげん)の善き(よき)心(こころ)を浮かべる(うかべる)広くて(ひろくて)すがすがしい「気(き)」をいう。良い(よい)心(こころ)、良い(よい)判断力(はんだんりょく)を保つ(たもつ)ためにはこのことを養え(やしなえ)という。儒教(じゅきょう)と言う(いう)より道教的(どうきょうてき)な発想(はっそう)である。あるとき、中国(ちゅうごく)の公孫(こうそん)丑(ちゅう)が尋ねた(たずねた)、「恐れ入ります(おそれいります)が、浩然(こうぜん)の気(き)とはどんなものでございますか」孟子(もうし)はこたえた、「言葉(ことば)で定義(ていぎ)するのは困難(こんなん)だ。浩然(こうぜん)の気(き)というのは、何物(なにもの)より大きく(おおきく)、どこまでも広がり(ひろがり)、何物(なにもの)より強く(つよく)、ちっともたわみかがむことなく、まっすぐに育てて(そだてて)邪魔(じゃま)しないと、天地(てんち)の間(あいだ)にいっぱいになる。この気(き)は義と道(みち)から離れる(はなれる)ことはできない。もし分離(ぶんり)すると飢えて(うえて)気(き)は死んで(しんで)しまう。浩然(こうぜん)の気(き)は義(ぎ)を行った(おこなった)のが自然(しぜん)に積み重なって発生(はっせい)したものであり、義(ぎ)がこの気(き)を外(そと)から取り込んだ(とりこんだ)ものではないのだ」

参考 
儒教(じゅきょう)とは、孔子(こうし)が唱えた(となえた)道徳(どうとく)・教理(きょうり)を体系化(たいけいか)したもの。その学問(がくもん)内容(ないよう)を儒学(じゅがく)という。儒教(じゅきょう)は、その国家(こっか)教学(きょうがく)としての規範性(きはんせい)・体系性(たいけいせい)を強調(きょうちょう)した称(しょう)。儒学(じゅがく)---(---)じゅ【(()儒学(じゅがく)】())中国(ちゅうごく)古代(こだい)の儒家(じゅか)思想(しそう)を基本(きほん)にした学問(がくもん)。孔子(こうし)の唱えた(となえた)倫理(りんり)政治(せいじ)規範(きはん)を体系化(たいけいか)し、四書(ししょ)五経(ごきょう)の経典(きょうてん)を備え(そなえ)、長く(ながく)中国(ちゅうごく)の学問(がくもん)の中心(ちゅうしん)となった。自己(じこ)の倫理的(りんりてき)修養(しゅうよう)による人格(じんかく)育成(いくせい)から最高道徳「仁」への到達を目ざし、また、礼(れい)楽刑(がく けい)政(せい)を講じて(こうじて)経国済(けいこくすみ)民(みん)の道(みち)を説く(とく)。のち、朱子学(しゅしがく)・陽明学(ようめいがく)として展開(てんかい)。日本(にほん)には4、5世紀(、5せいき)ごろに「論語(ろんご)」が伝来(でんらい)したと伝えられ(つたえられ)、日本(にほん)文化(ぶんか)に多大(ただい)の影響(えいきょう)を与えた(あたえた)。礼(れい)楽(らく)(れいがく)刑(けい)政(せい)其(その)(そ)の極(きょく)は一(いち)(いつ)なり 《(()「礼記(らいき)」の中(なか)の楽記(らくき)篇(へん)から》())礼節(れいせつ)も音楽(おんがく)も刑罰(けいばつ)も政治(せいじ)も、その目的(もくてき)とするところは秩序(ちつじょ)ある社会(しゃかい)を作る(つくる)という一事(いちじ)である。

4 長期的多面的全面的根本的----平成21年4月
ワタミ(わたみ)の渡邉(わたなべ)美樹(みき)氏(し)を、日経(にっけい)TOP LEADER(旧日経(きゅうにっけい)ベンチャー(べんちゃー))誌(し)が特集(とくしゅう)していた。タイトル(たいとる)は『(()経営(けいえい)思考(しこう)の三(さん)原則(げんそく)~渡邉(わたなべ)美樹「決断力(けつだんりょく)」のよりどころ』())である。
著書(ちょしょ)も読ませて(よませて)いただき、講演(こうえん)をお聴き(おきき)したこともあり、類(たぐい)まれなる理念(りねん)経営(けいえい)の姿勢(しせい)に尊敬(そんけい)の念(ねん)を持って(もって)いたので、記事(きじ)を興味深く(きょうみぶかく)読んだ(よんだ)。
渡邉(わたなべ)美樹(みき)氏(し)は、「経営(けいえい)で一番(いちばん)大切(たいせつ)なことは何(なに)か?」と問われる(とわれる)と、決まって(きまって)「思考(しこう)の三(さん)原則(げんそく)」と答える(こたえる)という。
故安岡(こ やすおか)先生(せんせい)の教え(おしえ)の「思考(しこう)の三(さん)原則(げんそく)」とは、「私(わたし)は物事(ものごと)を、特(とく)に難しい(むずかしい)問題(もんだい)を考える(かんがえる)ときには、いつも三つ(みっつ)の原則(げんそく)に依る(よる)様(さま)に努めて(つとめて)いる。第一(だいいち)は、目先(めさき)に捉(とら)われないで、出来る(できる)だけ長い(ながい)目(め)で見る(みる)こと。第二(だいに)は物事(ものごと)の一面(いちめん)に捉(とら)われないで、出来る(できる)だけ多面的(ためんてき)に、出来得れば(できえれば)全面的(ぜんめんてき)に見る(みる)こと。第三(だいさん)に何事(なにごと)によらず枝葉(しよう)末節(まっせつ)に捉(とら)われず、根本的(こんぽんてき)に考える(かんがえる)」ということである。物事(ものごと)の一面(いちめん)に捉(とら)われずに、多面的(ためんてき)・全面的(ぜんめんてき)に考える(かんがえる)ことができるといいのでしょう。 そうすれば、「×(かける)×(かける)も歩(ある)けど○○もある」と考えられる(かんがえられる)ことが多い(おおい)でしょう。一つ(ひとつ)の方法(ほうほう)がタメ(ため)でも、「道(みち)は一つ(ひとつ)ではない」と考え(かんがえ)、他(た)の方法(ほうほう)を考える(かんがえる)こともできるでしょう。
また、物事(ものごと)を根本的(こんぽんてき)・本質的(ほんしつてき)に考える(かんがえる)ことができるといいのでしょう。
そのためには、自分(じぶん)にとって何(なに)が大切(たいせつ)なのか、自分(じぶん)が心から(しんから)望んで(のぞんで)いることは何(なに)か自分(じぶん)の気持ち(きもち)を大切(たいせつ)にすることが大事(だいじ)だと思います(おもいます)。 自分(じぶん)にとって重大(じゅうだい)な問題(もんだい)は、よく考えたほうがいいでしょう。私(わたし)が常に(つねに)行って(おこなって)いることは、ノート(のーと)や紙(かみ)に書いて(かいて)、因果(いんが)と対策(たいさく)を考える(かんがえる)ことですね。 人生(じんせい)での様々(さまざま)な問題(もんだい)に対して、自分(じぶん)なりの役(やく)に立つ(たつ)考え方(かんがえかた)を身(み)につけていくことができたらいいのではないでしょうか。

5 陰徳(いんとく)を志す(こころざす)----平成21年5月
安岡(やすおか)正篤(まさあつ)先生(せんせいは)は、体(からだ)の健康(けんこう)にはまず心(こころ)の健康(けんこう)が大切(たいせつ)として「健康(けんこう)の三(さん)原則(げんそく)」を唱えた(となえた)。
第一(だいいち)に、心中(しんちゅう)に喜(よろし)神(かみ)を含む(ふくむ)こと。
(どんなに苦しい(くるしい)ことに逢って(あって)も心(こころ)のどこか、苦衷の中でも奥(おく)の方(ほう)に喜び(よろこび)を持つ(もつ))
第二に、心中(しんちゅう)に絶えず(たえず)感謝(かんしゃ)の念(ねん)を含む(ふくむ)こと。
(有り難い(ありがたい)という気持(きもち)を絶えず(たえず)持つ(もつ)。何(なに)かにつけて感謝(かんしゃ)感恩(かんおん)の気持(きもち)を持つ)
第三(だいぞう)に、常に(つねに)陰徳(いんとく)を志す(こころざす)こと。(絶えず(たえず)人(ひと)知れず(しれず)良い(よい)ことをする)
簡単(かんたん)なようでとても難しい(むずかしい)心構え(こころがまえ)だと思う(おもう)。私たちは、後ろ(うしろ)向きな考え(かんがえ)にとらわれていないだろうか?感謝(かんしゃ)の気持ち(きもち)を忘れて(わすれて)はいないだろうか?率先(そっせん)して人(ひと)に尽くそう(つくそう)としているだろうか?

6 気(き)は体(からだ)を支配(しはい)する。----平成21年6月
人(ひと)の心(こころ)と体(からだ)は、別々(べつべつ)の物(もの)ではなく絶えず(たえず)一つ(ひとつ)のものとして活動(かつどう)しています。その媒介(ばいかい)になるのが、気(き)の感覚(かんかく)である。気(き)の感覚(かんかく)がよくわかってくると、体(からだ)のこまやかな動き(うごき)ができ、体(からだ)全体(ぜんたい)のバランス(ばらんす)が良く(よく)なる。リラックス、体(からだ)の力(ちから)を抜く(ぬく)とよく言われて(いわれて)いることですが、地球(ちきゅう)の重力(じゅうりょく)がある以上(いじょう)、100%の弛緩(しかん)はできないでしょう。大切(たいせつ)なことは、全体(ぜんたい)のバランス(ばらんす)・・・・体(からだ)は絶えず(たえず)重力(じゅうりょく)と気圧(きあつ)の力(ちから)がかかっている、頭(あたま)、胸(むね)、腹(はら)、手(て)、足(あし)など細か(こまか)な筋肉(きんにく)の使い方(つかいかた)によって体(からだ)の内部(ないぶ)の圧力(あつりょく)を等しく(ひとしく)すれば、体(からだ)にかかる内部(ないぶ)の力は、限りなく(かぎりなく)ゼロ(ぜろ)に近く(ちかく)なる。瞑想(めいそう)で体(からだ)の重さ(おもさ)が消えた(きえた)ような、浮いて(ういて)いるような感じ(かんじ)が、この状態(じょうたい)です。
一般的(いっぱんてき)にいって、病(やまい)は、気(き)からといいます。何(なに)か、問題(もんだい)が起きた(おきた)ときには、沈思(ちんし)黙考(もっこう)して、方針(ほうしん)を立てて(たてて)、本当(ほんとう)に自分(じぶん)と相手(あいて)にとって良い(よい)ことの解決(かいけつ)方法(ほうほう)を立案(りつあん)したいものです。
そのためには、成功(せいこう)のマネジメントといわれている考え方(かんがえかた)を申し上げます(もうしあげます)と、「理想(りそう)」「目標(もくひょう)」「戦略(せんりゃく)」「戦術(せんじゅつ)」「行動(こうどう)」「結果(けっか)」「検討(けんとう)」のサイクル(さいくる)のプロ(ぷろ)になることです。プラン・ドウ・チェック(シー)と同じ意味合い(いみあい)になりますね。

7 有源(ゆうげん)の井(せい)水(すい)---平成21年7月
安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)は「・・・有源(ゆうげん)の井(せい)水(すい)という語(ごとば)があります。人間(にんげん)の学問(がくもん)というものは、どんなに広くて(ひろくて)も、堤防(ていぼう)で囲まれた(かこまれた)貯水池(ちょすいち)のようなものであってはいけない。それよりもたとえ狭くて(せまくて)も、井戸(いど)であれば、滾々(こんこん)(こんこん)として尽きない(つきない)活きた(いきた)水(みず)を汲み上げる(くみあげる)ことができる。つまり学問(がくもん)というものは博学(はくがく)よりも活学(かつがく)が尊い(とうとい)ということです。・・・」
 ( 人生(じんせい)をひらく活学(かつがく):: p15 PHP文庫 )

 中国(ちゅうごく)の古い(ふるい)言葉(ことば)、「有源(ゆうげん)+井(せい)水(すい)、この言葉(ことば)を選んだ(えらんだ)のは『有源(ゆうげん)の学(がく)』())を提唱(ていしょう)した王陽明(おう ようめい)の『(()伝習録(でんしゅうろく)』())の中(なか)に出て(でて)くる. 『(() 有源(ゆうげん)の井(せい)水(すい)』())という言葉(ことば)がありました。因み(ちなみ)に安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)がお書き(おかき)になった『(()伝習録(でんしゅうろく)』())があります。考え(かんがえ)が溜まって(たまって)、澱(よど)んでいるかもしれない貯水池(ちょすいち)の水(みず)より、滾々(こんこん)と湧き出る(わきでる)井戸(いど)の水(みず)はいつも新鮮(しんせん)です。「滾々(こんこん)と湧き出る(わきでる)新しき(あたらしき)願望(がんぼう)」を大切(たいせつ)に常に(つねに)新鮮(しんせん)な気持ち(きもち)で取り組んで(とりくんで)(とりくんで)います。ここに「イノベーションがある。」と考えて(かんがえて)います。

8 最後(さいご)まで待つ(まつ)----平成21年8月
「辛抱強さ」とは……
「辛抱強さ(しんぼうづよさ)」が脳内(のうない)で生成(せいせい)される仕組み(しくみ)が解明(かいめい)されたという。「辛抱強さ(しんぼうづよさ)」の仕組み(しくみ)解明(かいめい)=ラット(らっと)脳(のう)で特定(とくてい)物質(ぶっしつ)活発(かっぱつ)―(ー)沖縄(おきなわ)の研究機間(けんきゅうきかん)、「人事(じんじ)を尽くして(つくして)天命(てんめい)を待つ(まつ)」というのがあります。 辞書(じしょ)を引(ひく). .. ... 辞書(じしょ)を引く(ひく)と「人(ひと)としてできるかぎりのことを実行(じっこう)し、その結果(けっか)は天(てん)の意思(いし)にまかせる」という意味(いみ)です。 また、もし結果(けっか)が出なかった(でなかった)としても胸(むね)を張って(はって)人事(じんじ)を尽くした(つくした)と言える(いえる)状態(じょうたい)まで持って(もって)いけたのであれば、無駄(むだ)にはならないと思います。「人事(じんじ)を尽くし(つくし)て天命(てんめい)を待つ(まつ)」というのがあります。
でも、あることに対して(たいして)、いつも、前後(ぜんご)、左右(さゆう)、上下(じょうげ)、斜め(ななめ)の対応(たいおう)を考えて(かんがえて)、行動(こうどう)してみることです。そうするとその結果(けっか)は、かなりの確率(かくりつ)で成就(じょうじゅ)することがあります。結果(けっか)が出る(でる)間(あいだ)、辛抱強く(しんぼうづよく)待つ(まつ)ことだと思います(おもいます)。この辛抱(しんぼう)のときに、自分(じぶん)の考え(かんがえ)を信じない(しんじない)と結果(けっか)はついてこないと思います(おもいます)。じっと、待つ(まつ)、こころが大切(たいせつ)ではないでしょうか。
蛇足(だそく)ですが、あの有名(ゆうめい)なファ(ふぁ)ースト(すと)もいっています。
私(わたし)は、現在(げんざい)、私のライフワ(らいふわ)ーク(く)として、実践(じっせん)していることは、「事業(じぎようさいせい)再生(さいせい)と人間(にんげん)再生(さいせい)を考えて(かんがえて)行動していることです。」、この一体化と連動により、もし、再生が出来たとしたら、今(いま)の世の中(よのなか)の「一(いち)隅(ぐう)を照(て)らす」ことになるかもしれませんね。われわれが「一隅(いちぐう)を照ら(てら)す」このことがいつか、いく万(まん)の火(ひ)を照らす(てらす)ことになれば「万灯(まんどう)照(てらし)隅(すみ)」(幾(いく)満(まん)の善意(ぜんい)のともし火(ともしび)が日本(にっぽん)国中(こくなか)の隅々(すみずみ)まで、照らされる(てらされる)ということ)、くどいようですが、私たち(わたしたち)は、いつも健康(けんこう)で、直(ひたむき)向(ひたむき)に、事業(じぎょう)再生(さいせい)を遂行(すいこう)しながら、対象(たいしょう)となった人間(にんげん)を助け(たすけ)られたとしたら、もしかしたら、無名(むめい)であっても、自分(じぶん)自身(じしん)を「素晴らしい(すばらしい)人物(じんぶつ)」だと思え(おもえ)るような人間(にんげん)になれるようにサポート(さぽーと)していきたいと考えて(かんがえて)、行動(こうどう)をしていきたいと思っ(おもっ)ております。でも、私たち(わたしたち)も普通(ふつう)の人間(にんげん)です。だから、自分(じぶん)も自分(じぶん)で人間(にんげん)再生(さいせい)をしなければならないことが多い(おおい)のです。そのときの下記(かき)の文言(ぶんげん)二つ(ふたつ)が私(わたし)の信条(しんじょう)です。私(わたし)の好き(すき)な人生(じんせい)基本(きほん)の詩(し)を二つ(ふたつ)の詩(し)を書き留めます(かきとめます)。

私が前進(ぜんしん)するときの詩(し)⇒「新しき(あたらしき)願望(がんぼう)を目覚めさせる(めざめさせる)」----ファーストの言葉(ことば)
私が自ら(みずから)、後退(こうたい)するときの詩(し)⇒「梅(うめ)酸(さん)は酸(さん)」---三国志(さんごくし)・曹操(そうそう)の詩(うた)です。です。曹操(そうそう)ももしかしたら、戦い(たたかい)に勝った(かった)回数(かいすう)よりも負けた(まけた)回数(かいすう)の方(ほう)が多かった(おおかった)も知れません(しれません)。何故(なぜ)ならばこのような負けた(まけた)ときの詩(し)・後退(こうたい)するときの詩(し)も用意(ようい)していたからです。私たち(わたしたち)の人生(じんせい)も後退(こうたい)することも多々(たた)ありますね。
前進(ぜんしん)のときの詩(し)(吉川英治著(よしかわえいじちょ)全10巻(ぜん10かん)昭和(しょうわ)31年(ねん)1936年(ねん)初版(しょはん)より、定価(ていか)280円(えん)をまだ、所有しています。)
題名(だいめい)「新しき(あたらしき)願望(がんぼう)を目覚めさせよ(めざめさせよ)!!」
    新しき(あたらしき)願望(がんぼう)が目覚める(めざめる)
    女神(めがみ)が永遠(えいえん)なるが、光(ひかり)を飲みたさ(のみたさ)に
    昼(ひる)を面(おもて)にし、夜(よる)を背(せ)にして、己(おのれ)は翔(か)ける。
後退(こうたい)するときの詩(し)
題名(だいめい)「梅(ばい)酸(さん)は酸(さん)」
    梅(ばい)酸(さん)は酸(さん)
    敗戦(はいせん)もまた、酸(さん)なり
    同じ(おなじ)からずといえども似たり(にたり)
    心(しん)舌(ぜつ)を超えて(こえて)、甘(あま)し

蛇足(だそく)ですが、以前(いぜん)、私(わたし)と同じ(おなじ)時期(じき)に勤務(きんむ)していた銀行(ぎんこう)の今(いま)は亡き(なき)頭取(とうどり)から戴いた(いただいた)書簡(しょかん)に「ミスタ(みすた)-子(し)路(ろ)」と書いて(かいて)ありました。これは「論語(ろんご)の中(なか)に出て(でて)くる孔子(こ)一番(いちばん)弟子(でし)」といわれている「子(し)路(ろ)」のことで、頭取(とうどり)から、あだ名(な)をつけられていました。
現在(げんざい)では、亡(な)くなくなってから、15年(ねん)も経過(けいか)していますが、私(わたし)の人生(じんせい)行路(こうろ)には、欠かせない(かかせない)ことばあだなであり、できごとごとでありました。
 お蔭(おかげ)様(さま)で、私(わたし)は人生(じんせい)の最終章(さいしゅうしょう)の真(ま)っ只中(ただなか)において、このことが契機(けいき)で、人生(じんせい)自体(じたい)を考える(かんがえる)機会を与えられて、良かった(よかった)と思います(おもいます)。

9 点心(てんしん)----平成21年9月
「点心(てんしん)」という名前(なまえ)は禅語(ぜんご)『(()空(くう)心(しん)(すきばら)に小食(しょうしょく)を点(てん)ずる』())からきたという説(せつ)や、心(こころ)に点をつけることから心(こころ)に触れる(ふれる)ものと言う(いう)説(せつ)がある。明確(めいかく)な定義(ていぎ)はないが、食事(しょくじ)の間(あいだ)に少量(しょうりょう)の食物(しょくもつ)を食べる(たべる)ことなので、菓子(かし)や間食(かんしょく)、軽食(けいしょく)の類い(たぐい)は全て(すべて)点心(てんしん)と呼ばれる(よばれる)。中
国の朝(あさ)ご飯(ごはん)は点心(てんしん)ですまされる事(こと)が多い(おおい)。

10 発奮(はっぷん)と努力(どりょく)----平成21年10月
私(わたし)が師事(しじ)した安岡(やすおか)正篤先生(まさひろせんせい)の講話録(こうわろく)-(-)『(()運命(うんめい)を開く(ひらく)』())(プレジデント社(ぷれじでんとしゃ))から引用(いんよう)して、師(し)が説かれる(とかれる)人間学(にんげんがく)についてご紹介(ごしょうかい)します。
運命(うんめい)を展(ひら)く 運命(うんめい)を展(ひら)く - 人間(にんげん)はどこまでやれるか<次(つぎ)の三人(さんにん)は愚鈍(ぐどん)といわれていたそうですが、ナポレオン(なぽれおん)、ニュートン(にゅーとん)、中井(なかい)竹山(ちくざん)> さて次(つぎ)に、頭(あたま)が悪い(わるい)、鈍物(どんぶつ)である、無能(むのう)であるというのはどうだろう? これも問題(もんだい)ではありません。歴史(れきし)を調べて(しらべて)みると、決して(けっして)秀才(しゅうさい)・英才(えいさい)でなければ学問(がくもん)・修業(しゅぎょう)・成功(せいこう)できなかったなどということはありません。鈍才(どんさい)・凡庸(ぼんよう)、結構(けっこう)です。というよりは、むしろあまり出来(でき)のよくない、あんまりどころじゃなく、はなはだ出来(でき)のよくなかったような少年(しょうねん)・青年(せいねん)にして、非常(ひじょう)に大(だい)を成した(なした)人物(じんぶつ)も枚挙(まいきょ)にいとまがない。こういう実際(じっさい)に徴する(ちょうする)と、現代的(げんだいてき)にいうならば統計(とうけい)がものを言います(いいます)。多く(おおく)のデータに徴して(ちょうして)、確か(たしか)に問題(もんだい)じゃないのです。

11 功過(こうか)格(かく)----平成21年11月
中国(ちゅうごく)の実践(じっせん)道徳(どうとく)の書物(しょもつ)。因果(いんが)応報(おうほう)思想(しそう)にもとづくもので,日常(にちじょう)の行為(こうい)を善(ぜん)(功(こう))と悪(あく)(過(か))に分類(ぶんるい)して採点し,功(こう)が増大(ぞうだい)し,過(か)が減少(げんしょう)するよう努力(どりょく)することを勧める(すすめる)。明末(めいすえ)・清(きよし)初(しょ)に最も(もっとも)盛行(せいこう)し,日本(にほん)にも伝来(でんらい)した。簡単(かんたん)に言えば(いえば)、人(ひと)の見て(みて)いないところではも悪い(わるい)ことをしないということだ。例えば(たとえば)、よい行い(おこない)を3000件行えば、自分の願望が成就するとのことだ。 
因果(いんが)応報(おうほう)思想(しそう)----(----)因果(いんが)応報説(おうほうせつ)は縁起(えんぎ)の法(ほう)、すなわち、すべての存在(そんざい)は他(ほか)との関係(かんけい)が縁(えん)となって生起(せいき)するという法理(ほうり)から生まれた(うまれた)ものであり、如来(にょらい)がこの世(よ)に出現(しゅつげん)しなくても宇宙(うちゅう)法界(ほうかい)を貫く(つらぬく)永遠(えいえん)の真理(しんり)といえます。
因果(いんが)応報説(おうほうせつ)のメリット(めりっと)は、この仏教(ぶっきょう)の根本(こんぽん)教理(きょうり)である縁起説(えんぎせつ)に反する(はんする)六師(ろくし)外道(げどう)の教え(おしえ)から必然的(ひつぜんてき)に導かれます(みちびかれます)。

12 運命(うんめい)と立命(りつめい)を知る(しる)----平成21年12月
天命(てんめい)を知る(しる)《(()「論語(ろんご)」為政(いせい)から》())50歳(さい)になる。→(やじるし)知命(ちめい)
五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知る(しる)《(()「論語(ろんご)」為政(いせい)から》())50歳になってはじめて自分(じぶん)の人生(じんせい)についての天命(てんめい)・運命(うんめい)が何(なに)であったかがわかる。→(やじるし)知命(ちめい)(ちめい)
知命(ちめい)1 天命(てんめい)を知る(しる)こと。2「論語(ろんご)」為政(いせい)の「五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知る(しる)」から・50歳(さい)のこと

この例(れい)として
住友(すみとも)生命(せいめい)保険(ほけん)の新井(あらい)正明名誉(まさあきめいよ)会長(かいちょう)の人生(じんせい)はその最(さい)たるものである。新井(あらい)さんは入社(にゅうしゃ)1年目(1ねんめ)の昭和(しょうわ)13年(ねん)1月(1がつ)に入隊(にゅうたい)、昭和(しょうわ)14年(ねん)8月(8がつ)のノモンハン(のもんはん)事変(じへん)でソ連軍(それんぐん)の砲弾(ほうだん)の直撃(ちょくげき)を受ける(うける)。一(いち)命(めい)はとりとめたものの右足(みぎあし)を失う(うしなう)。
これも自分(じぶん)に与えられた(あたえられた)運命(うんめい)かと、大概(たいがい)の人(ひと)は考える(かんがえる)だろう。避ける(さける)ことのできない兵役(へいえき)である。そして新井(あらい)さんも、戦地(せんち)の病院から会社(かいしゃ)に辞表(じひょう)を提出(ていしゅつ)する。 それに対して(たいして)最(さい)高幹部(こうかんぶ)から「辞めなくて(やめなくて)よし、早く(はやく)健康(けんこう)になり出社(しゅっしゃ)すべし」の電報(でんぽう)が届く。そして日本(にほん)に送還(そうかん)され入院(にゅういん)した病院(びょういん)に電報(でんぽう)の主(しゅ)、北澤(きたざわ)敬(けい)二郎(じろう)専務(せんむ)が見舞い(みまい)に訪れ(おとずれ)、「健康(けんこう)になり次第(なりしだい)出勤(しゅっきん)するように。足(あし)が悪い(わるい)のだから、遅く(おそく)出勤(しゅっきん)して、早く(はやく)退社(たいしゃ)することを認めよう(みとめよう)」と言われる(いわれる)。
大変(たいへん)な感激(かんげき)であったと述懐(じゅっかい)し、著書(ちょしょ)にも書かれて(かかれて)いる。だが実際(じっさい)の新井(あらい)さんの勤務(きんむ)は、「足(あし)が不自由(ふじゆう)だからこそ、早く(はやく)出社(しゅっしゃ)し、遅く(おそく)帰る(かえる)」毎日(まいにち)だった。我々(われわれ)の想像(そうぞう)の到底(とうてい)及ばぬ(およばぬ)心(こころ)の葛藤(かっとう)を乗り越え(のりこえ)、ままならぬ肉体(にくたい)との戦い(たたかい)を続けた(つづけた)はずである。その1日(1にち)1日(1にち)の積み重ね(つみかさね)が昭和(しょうわ)41年(ねん)、53歳(さい)での社長(しゃちょう)就任(しゅうにん)に繋がり(つながり)、関西(かんさい)財界(ざいかい)随一(ずいいち)の存在感(そんざいかん)ある財界人(ざいかいじん)を生み出して(うみだして)いく。 もし、その時(とき)、新井(あらい)さんがノモンハン(のもんはん)での戦傷(せんしょう)を運命(うんめい)としてとらえていたら、傷痍(しょうい)軍人(ぐんじん)としての人生(じんせい)が待って(まって)いたかもしれない。また復職後(ふくしょくご)も、北澤(きたざわ)専務(せんむ)の言葉(ことば)に甘え(あまえ)、「遅く(おそく)出社(しゅっしゃ)し、早く(はやく)帰宅(きたく)する」会社(かいしゃ)生活(せいかつ)を積み重ねて(つみかさねて)いたら、社長(しゃちょう)どころか、役員(やくいん)としての新井さんもいなかったろう。
 友人(ゆうじん)の励まし(はげまし)もあった、会社(かいしゃ)の上司(じょうし)の理解(りかい)もあっただろう。多く(おおく)の古典(こてん)や安岡(やすおか)先生(せんせい)との出会い(であい)もあった。それらのすべてから新井(あらい)さんは前向き(まえむき)に生きる(いきる)力(ちから)を得る(える)。それこそが立命(りつめい)であり、自ら(みずから)立てた(たてた)運命(うんめい)であった。(運命(うんめい)と立命(りつめい)より)

13 座して(ざして)待つ(まつ)----平成22年1月
人事(じんじ)(じんじ)を尽くして(つくして)天命(てんめい)を待つ(まつ)、力(ちから)のあらん限り(かぎり)を尽くして(つくして)、後(ご)は果敢(かかん)に挑戦(ちょうせん)して、その後(そのご)は静か(しずか)に天命(てんめい)に任せる(まかせる)。喜(き)神(しん)とは、何(なに)があってもこれは神様(かみさま)の声(こえ)だから、 はい喜んで(よろこんで)!(心(こころ) 中(なか) 常(つね) に 喜(よし) 神(かみ) を 含(ふくみ) む こと) と素直(すなお)に受け止める(うけとめる)。という事(こと)です。吉田(よしだ) 茂(しげる)総理(そうり)から師(し)と慕われ(したわれ)、歴代(れきだい)の総理(そうり)の指南役(しなんやく)を務めた(つとめた)安岡(やすおか) 正篤(まさひろ)先生(せんせい)の師友会(しゆうかい)(現在(げんざい)の全国師(ぜんこくし)友交(ゆうこう)流会(りゅうかい)の前身(ぜんしん)-22年(ねん)10月(がつ)松本(まつもと)で開催(かいさい)された。)には財界(ざいかい)からも多く(おおく)の人(ひと)が門下生(もんかせい)として集まりました(あつまりました)。私(わたし)は直接(ちょくせつ)学ぶ(まなぶ)機会(きかい)に恵まれません(めぐまれません)でしたが先生(せんせい)のご本(ごほん)を読んだり(よんだり)、講演会(こうえんかい)でよく人(ひと)から聞かされた(きかされた)だけですが、安岡(やすおか) 正篤(まさひろ)先生(せんせい)の教え(おしえ)の中(なか)で一番(いちばん)好き(ずき)な言葉(ことば)を選びま(えらびま)した。
「習慣(しゅうかん)は第二(だいに)の天性(てんせい)である」----平成(へいせい)21年(ねん)1月(がつ)習慣(しゅうかん)の力(ちから)は大(おお)きなもので、生まれつき(うまれつき)の性質(せいしつ)と変わらない(かわらない)ほど日常(にちじょう)の行動(こうどう)に影響(えいきょう)を及ぼす(およぼす)。だから、習慣(しゅうかん)は大切(たいせつ)である。氏(し)より、育ち(そだち)といわれたことも本当(ほんとう)のことだった。と思いました(おもいました)。私たちの子供(こども)頃(ころ)は、全く(まったく)、何(なに)がなんだかわからなかったが、今(いま)になって考える(かんがえる)と昔(むかし)の子供(こども)達(たち)は、近所(きんじょ)ごとにチーム(ちーむ)を組んで(くんで)、他(た)の町内(ちょうない)とのいろいろいな遊びの中で競争(きょうそう)などが行われて(おこなわれて)いたことを思い出します(おもいだします)。

14 立命(りつめい)運命(うんめい)は自ら(みずから)----平成22年2月
運命的(うんめいてき)[形動(けいどう)]運命(うんめい)として決まって(きまって)いるさま。また、現在(げんざい)からみて過去(かこ)のある一(いち)時点(じてん)での出来事(できごと)が将来(しょうらい)を決する(けっする)ほどの重(じゅう)大事(だいじ)であったとみられるさま。宿命的(しゅくめいてき)。「二人(ふたり)の―(ー)な出会い(であい)」運命劇(うんめいげき)1 個人(こじん)の意志(いし)と運命(うんめい)の力(ちから)との争い(あらそい)、あるいは運命(うんめい)に翻弄(ほんろう)される人生(じんせい)の姿(すがた)を主題(しゅだい)とした演劇(えんげき)または劇(げき)文学(ぶんがく)。多く(おおく)は主人公(しゅじんこう)を破滅(はめつ)させ悲惨(ひさん)な形(かたち)で終わる(おわる)。
立命(りつめい)  [名(な)](スル(する))天命(てんめい)を全うし(まっとうし)、人為(じんい)によって損なわない(そこなわない)こと。「安心立命(あんしんりつめい) 人力(じんりき)を尽くして(つくして)その身(み)を天命(てんめい)に任せ(まかせ)、どんな場合(ばあい)にも動じない(どうじない)こと。1 性(せい)命(めい)、生まれながら(うまれながら)天から(てんから)授かった(さずかった)性質(せいしつ)と運命(うんめい)。2 いのち。生命(せいめい)。


15 道を学ぶ----平成22年3月
学(がく)ぶに如(し)かず 《(()「論語(ろんご)」衛(えい)霊(れい)公(こう)から》())物(もの)の道理(どうり)を知る(しる)には、漠然(ばくぜん)と思索(しさく)するより学問(がくもん)して古人(こじん)の言行(げんこう)を学ぶ(まなぶ)ことが第一(だいいち)である。
「人(ひと)は、学ぶ(まなぶ)ことによって変わって(かわって)いく存在(そんざい)である」という言葉(ことば)がありますが、私(わたし)は、まず、自分(じぶん)の心(こころ)に従って、行動(こうどう)し、もっと言えば(いえば)、邁進(まいしん)し、ある時期(じき)を超えて(こえて)振り返って(ふりかえって)みたときに、人間(にんげん)の真理(しんり)と関わり(かかわり)があることに気(き)がつくでしょう。「言行(げんこう)一致(いっち)」とは、言って(いって)いることとやっていることが一致(いっち)していることですが、若い(わかい)頃(ころ)は、言って(いって)から、行う(おこなう)のではなく、いろいろとおこなった後(あと)で、このことはなんだったんだろうと真理(しんり)の探究(たんきゅう)のために勉強(べんきょう)することだと思います(おもいます)。私(わたし)からいえば、「言行(げんこう)一致(いっち)」ではなくて、まず行う(おこなう)ことから、始める(はじめる)ということで「行(ぎょう)言(げん)一致(いっち)」が大切(たいせつ)ではないかと考えて(かんがえて)います。


16 やがて、成果(せいか)は来る(くる)。----平成22年4月
あまり時間(じかん)や日数(にっすう)がたたないうちに、ある事(こと)が起こる(おこる)さま、また、ある事態(じたい)になるさま。そのうちに。まもなく。じきに。しっかり信じて(しんじて)行って(おこなって)いると必ず(かならず)、成果(せいか)はやってくる。その成果(せいか)を自分(じぶん)の成果(せいか)として、受信(じゅしん)できるように自分(じぶん)に言い聞かせ(いいきかせ)、直向き(ひたむき)に行動(こうどう)する。直向き(ひたむき)とは、物事(ものごと)に対して(たいして)、まっすぐに向いて(むいて)、じかに向き合って(むきあって)いる。また、物事(ものごと)に対して(たいして)、ただ、むかう 【(()直(ちょく)、向(む)かふ】())ことである。 そのように考えて(かんがえて)、行動(こうどう)していると、必ず(かならず)、成果(せいか)は出て(でて)くると考(かんが)える。でも継続的(けいぞくてき)な努力(どりょく)ってはじめはぜんぜん成果(せいか)が出ないのに、ある時(とき)を境(さかい)に、思いがけず(おもいがけず)に飛躍的(ひやくてき)に伸びる(のびる)、ブレイクスルー(ぶれいくするー)(突破(とっぱ)口(こう))が訪れる(おとずれる)瞬間(しゅんかん)がある。それを「やがて、成果(せいか)は来る(くる)」という。

17 シンクロニシティ(しんくろにしてぃ)との遭遇(そうぐう)----平成22年5月
カール・ユングによって提唱(ていしょう)された概念(がいねん)のこと。共(きょう)時性(じせい)とも言う(いう)。因果(いんが)関係(かんけい)のない二つ(ふたつ)の事象(じしょう)が、類似性(るいじせい)・近接性(きんせつせい)を備える(そなえる)こと。ユングの説明(せつめい)によれば、「非因果的(ひいんがてき)連関(れんかん)の原理(げんり)」という。最近(さいきん)では一回(いっかい)離婚(りこん)した男性(だんせい)が、友人(ゆうじん)の紹介(しょうかい)で見合い(みあい)をしたら、その方(かた)が離婚(りこん)した女性(じょせい)だった。当然(とうぜん)のごとく結婚(けっこん)して、現在(げんざい)に至って(いたって)いる。synchronicity(シンクロニシティ)は、 共(きょう)時性(じせい)といわれています。これは、スイス(すいす)の心理(しんり)学者(がくしゃ)1875~1961、カール(かーる)・ユング(ゆんぐ)が提唱(ていしょう)した概念(がいねん)であり、意味(いみ)は単(たん)なる偶然(ぐうぜん)を超えた、何(なに)かを意味(いみ)する時間(じかん)・空間(くうかん)の事象(じしょう)の符号(ふごう)をいう。

説明(せつめい)内容(ないよう)&キーワード(きーわーど)
1 困って(こまって)いるとき、目標(もくひょう)設定(せってい)していると、関係(かんけい)ない他(た)の要因(よういん)により、  解決(かいけつ)する。  
2 人生(じんせい)で起こる(おこる)不思議(ふしぎ)な偶然(ぐうぜん)に導かれる(みちびかれる)ように仕事(しごと)の成就(じ  ょうじゅ)に出会う(であう)。
3 思い(おもい)が伝わる(つたわる)こと・以心伝心(いしんでんしん)
4 成功(せいこう)法則(ほうそく)とシンクロニシティ(しんくろにしてぃ)が関連(かんれん)している。
5 長らく(ながらく)会って(あって)いなかった友人(ゆうじん)のことを思い出して(おもいだして)いたら、その日(ひ)にその友人  (ゆうじん)から電話(でんわ)がかかってきた。意識(いしき)していた誰(だれ)かとばったり会う(あう)。
6 「流れ(ながれ)」に沿って(そって)、自然(しぜん)に集まって(あつまって)くるもの(含(ふくみ)情報(じょうほう))をいう。 
7 求めなくて(もとめなくて)、思わぬ(おもわぬ)発見(はっけん)をする能力(のうりょく)
8 人生上(じんせいじょう)の変化(へんか)には、何ら(なんら)かの目的(もくてき)があることを知る(しる)ことが大切(たいせ   つ)である。
9 意味(いみ)ある偶然(ぐうぜん)の一致(いっち)ともいう。
10 偶然(ぐうぜん)とは、ふと、思いついた(おもいついた)から・・、ふと、思い出した(おもいだした)から・・などなど


18 遡源一(そげんいっ)滴(てき)の水(みず)----平成22年6月
遡源(さくげん)[名(な)](スル(する))《慣用読みで「さくげん」ともよむ》おおもとにまでさかのぼること。また、根本(こんぽん)をきわめること。一(いっ)滴(てき)ひとしずく。きわめて少量(しょうりょう)の意(い)にも用いる(もちいる)。「酒(さけ)は一(いっ)滴(てき)も飲めない(のめない)」「大海(たいかい)の一(いっ)滴(てき)」 大海(たいかい)の一(ひと)滴(しずく)「大海(たいかい)の一(いち)粟(ぞく)」に同じ。

1 ひとすじの水流(すいりゅう)。
2 水(みず)や酒(さけ)のひとしずく。一(いっ)滴(てき)。

昨年(さくねん)のある地方(ちほう)の首長(しゅちょう)の選挙(せんきょ)があった、そのとき立候補(りっこうほ)した方(かた)と、選挙前後(せんきょぜんご)に、この言葉(ことば)について、話し合った(はなしあった)。その方(かた)は、孤立(こりつ)無援(むえん)であり、組織票(そしきひょう)や過去(かこ)の経験(けいけん)も浅い(あさい)、しかし、何(なに)もしなければなんにも発生(はっせい)しないという意気込み(いきごみ)で活動(かつどう)した。そのときの言葉(ことば)が、この言葉(ことば)である。初めて(はじめて)、1人の人間(にんげん)が、自分(じぶん)の経験(けいけん)をとおして、理想(りそう)を立て(たて)、社会(しゃかい)に貢献(こうけん)しようとする姿勢(しせい)は、私(わたし)としてはうれしかった。しかし、地区(ちく)の選挙(せんきょ)民(みん)からみれば、かなり、逸脱(いつだつ)した行動(こうどう)に見えた(みえた)に違いない(ちがいない)。でも、その人(ひと)は、自分(じぶん)の考え(かんがえ)を世の中(よのなか)に初めて(はじめて)、発表(はっぴょう)するということ、これこそが、
「遡源一(そげんいっ)滴(てき)の水(みず)であったのでは、と、いえるのではないかと思う。」


19 久(きゅう)敬(けい)----平成22年7月
《(()照(しょう)心(しん)語録(ごろく)(安岡(やすおか)正篤(まさひろ))/人(ひと)を感奮(かんぷん)興起(こうき)せしめるものは達人(たつじん)の片言(かたこと)隻句(せっく)である。安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)の講演(こうえん)テープ(てーぷ)約(やく)二百本(にひゃくほん)から 心魂(しんこん)に響く(ひびく)言葉(ことば)を筆録(ひつろく)・集成(しゅうせい) 照(しゅう)心(しん)語録(ごろく)には”久(きゅう)敬(けい)”という熟語(じゅくご)がある。これは『(()論語(ろんご)』())の「晏(あん)平仲(へいちゅう)が善く(よく)人(ひと)と交はる。久(ひさし)しうして人(ひと)これを敬す(けいす)」から来た(きた)ものだが、善交(ぜんこう)さえ少ない(すくない)人(ひと)の世(よ)に、交際(こうさい)久しければ(ひさしければ)久しい(ひさしい)ほど畏敬(いけい)されるということはなかなか出来ない(できない)。晏(あん)平仲(へいちゅう)(斉)の晏子(あんし))は余程(よほど)偉い(えらい)人物(じんぶつ)と思われ(おもわれ)る。

人(ひと)は修養(しゅうよう)を積んで(つんで)人間(にんげん)としての器量(きりょう)ができてくると、「知識(ちしき)」が「見識(けんしき)」になり、物事(ものごと)の本質(ほんしつ)を見抜く(みぬく)力が備わり、さらに研鑽(けんさん)を積めば(つめば)、どのような状況(じょうきょう)であっても成す(なす)べきことは成す(なす)という、肝(きも)の据わった(すわった)「胆(きも)識(さとし)」が身(み)に付く。

「知識(ちしき)」は情報(じょうほう)。「見識(けんしき)」はどうしたらよいか判断(はんだん)に迷う(まよう)場面(ばめん)でベスト(べすと)な解決(かいけつ)策(さく)はどれかを見通す(みとおす)、すぐれた判断力(はんだんりょく)。「胆(きも)識(さとし)」は、ベスト(べすと)と判断(はんだん)したものを、恐れず(おそれず)臆(おく)せず実行(じっこう)にうつす力(ちから)。

「知識(ちしき)」を日常(にちじょう)生活(せいかつ)や仕事(しごと)に役立つ(やくだつ)ものに変える(かえる)のが「知恵(ちえ)」で、その生きた(いきた)知恵(ちえ)が「見識(けんしき)」。

「見識(けんしき)」に基づいた(もとづいた)「胆(きも)識(さとし)」でなければ、単(たん)なる向こう見ず(むこうみず)。知性(ちせい)なき勇気(ゆうき)は蛮勇(ばんゆう)である」。「胆(きも)識(さとし)」は人任せ(ひとまかせ)にはできない。

最終(さいしゅう)責任(せきにん)は自分(じぶん)自身(じしん)にあるという「はらくくり」が必要(ひつよう)。自分(じぶん)の取る(とる)行動(こうどう)は決して(けっして)間違った(まちがった)ものではない、現段階(げんだんかい)では最善(さいぜん)、最良(さいりょう)のものであるという 「見識(けんしき)」と、自分(じぶん)を信じて(しんじて)胸(むね)をはって前(まえ)に進む(すすむ)、自分(じぶん)のケツ(けつ)は自分(じぶん)で拭く(ふく)という決意(けつい)・・・難しい(むずかしい)ように聞こえるけれど、自分(じぶん)の人生(じんせい)を「自由(じゆう)」に生きる(いきる)には、それこそが常識(じょうしき)なのですよね。

胆(きも)識(さとし)ある方々(かたがた)からの言葉(ことば)や、お付き合い(おつきあい)を通じて(つうじて)、それに気づき始め(きづきはじめ)、不安(ふあん)や恐怖(きょうふ)を抱えながら(かかえながら)もヨチヨチ(よちよち)歩いて(あるいて)みているうちに、腹(はら)に落ちて(おちて)きた気(き)がします。発して(はっして)学んで(まなんで)、学んで(まなんで)発して(はっして)。


20 大義(たいぎ)名分(めいぶん)----平成22年8月
人(ひと)として、また臣(しん)として守る(まもる)べき道義(どうぎ)と節度(せつど)。「大義(たいぎ)名分(めいぶん)に、もとる」 行動(こうどう)のよりどころとなる道理(どうり)。また、事(こと)を起こす(おこす)にあたっての根拠(こんきょ)。「大義(たいぎ)(たいぎ)名分(めいぶん)が立つ(たつ)」という。
「直接(ちょくせつ)の儲け(もうけ)には結びつかなかった(むすびつかなかった)が、大義(たいぎ)名分(めいぶん)が立った(たった)」というように使用(しよう)される。人(ひと)として、また臣(しん)として守る(まもる)べき道義(どうぎ)と節度(せつど)。「大義(たいぎ)名分(めいぶん)にもとる」 行動(こうどう)のよりどころとなる道理(どうり)。また、事(こと)を起こす(おこす)にあたっての根拠(こんきょ)。「大義(たいぎ)名分(めいぶん)が立つ(たつ)」という。


21 繙(ひもと)解く(とく)心(の)の書(しょ)を----平成22年9月
繙(ひもと)(ひもと)解く(とく)心(こころ)の書(しょ)を、書物(しょもつ)を読む(よむ)(よむ)『(()繙く(ひもとく)』())は、書物(しょもつ)を読む(よむ)----『(()繙く(ひもとく)』は、書物の「帙(じち)」の紐(ひも)(ひも)を解いて(といて)、書物(しょもつ)の「帙(じち)(orちつ)」の紐(ひも)を解いて(といて)、書物(しょもつ)を読む(よむ)ということからできた言葉(ことば)です。「帙(じち)(orちつ)」とは、書物(しょもつ)をしまう箱(はこ)、いわば、昔(むかし)の保存(ほぞん)ケース(けーす)。

奈良(なら)時代(じだい)には、細い(ほそい)竹製(たけせい)で、巻き物(まきもの)を包み(つつみ)、紐(ひも)を結ぶ(むすぶ)形(かたち)でした。四角い(しかくい)本(ほん)になってからも、箱形(はこがた)の「帙(じち)(orちつ)」ができましたが、こちらも、紐(ひも)で、結ぶ(むすぶ)ようになっています。ですから、そのまま、「紐解く(ひもとく)」と書く(かく)こともあります。

「繙(ひもと)」という漢字(かんじ)は、糸編(いとへん)と、散らす(ちらす)とか、広げる(ひろげる)という意味(いみ)を持って(もって)います。「番(ばん)(ばん)(つかう・つがいの意(い))」とで、「ひもとく」ことを、あらわしています。
「帙(じち)(ちつ)」とは、書物(しょもつ)をしまう、いわば、昔(むかし)の保存(ほぞん)ケース(けーす)。

奈良(なら)時代には、細い竹製で、巻き物を包み、紐(ひも)を結ぶ(むすぶ)形(かたち)でした。四角い(しかくい)本(ほん)(ほん)になってからも、箱形(はこがた)(はこがた)の「帙(じち)(ちつ)」ができましたが、こちらも、紐(ひも)で、結ぶ(むすぶ)ようになっています。ですから、そのまま、「紐解く(ひもとく)」と書く(かく)(こともあります。「繙(ひもと)」という漢字(かんじ)は、糸編(いとへん)と、散らす(ちらす)とか、広げる(ひろげる)という意味(いみ)を持つ(もつ)「番(ばん)(ばん)(つかう・つがいの意(い))」とで、「ひもとく」ことを、あらわしています。


22 敬する(けいする)心(こころ)----平成22年10月
最近(さいきん)の人間性(にんげんせい)は,先生(せんせい)や先輩(せんぱい)など目上(めうえ)の人(ひと)を敬う(うやまう)方法(ほうほう)をあまり教えられて(おしえられて)いないように思う(おもう)。

本来(ほんらい)であれば,敬われる(うやまわれる)側(がわ)の人間(にんげん)は立派(りっぱ)であるからこそ,尊敬(そんけい)されるのであるが・・・そういう意味(いみ)では,我々(われわれ)目上(めうえ)の人間(にんげん)が立派(りっぱ)でなくなっているのかもしれない。かな??.それも大(だい)いに問題(もんだい)であるが,今回(こんかい)はそれはおいておく。

例えば(たとえば)、目上(めうえ)の人(ひと)に対して何(なに)も情報(じょうほう)がない初対面(しょたいめん)であればどうするか。まず,立場(たちば)(たちば)として目上(めうえ)なわけだから,やはり敬う(うやまう)心(こころ)を持つ(もつ)。そしてそれを行動(こうどう)に出す(だす)それは挨拶(あいさつ)だったり,何(なに)か手伝い(てつだい)だったり、といった具合(ぐあい)である。重要(じゅうよう)なのは行動(こうどう)に移す(うつす)(うつす)ことだ。ただ心(こころ)のなかで敬って(うやまって)いるだけではいけないのである。

この「行動(こうどう)に移す(うつす)(うつす)」ということが,教えられない(おしえられない)と出来ない(できない)。場合(ばあい)によっては,敬う(うやまう)という気持ち(きもち)すら持ち合わせて(もちあわせて)いないのかもしれないが,それについて伺い知る(うかがいしる)ことができないので,やめておく。

王陽明(おうようめい)がいった、「事上摩(ことじょうま)錬(きたう)」などとは現在(げんざい)は、ずいぶん遠い(とおい)こととなってしまったかもしれない。

一番(いちばん)わかりやすいのは,やはり挨拶(あいさつ)だろう。挨拶(あいさつ)ができないなどというのは論外(ろんがい)であるが,そのタイミング(たいみんぐ)や方法(ほうほう)、いわゆるTPO(Time:時(とき)  Place:場所(ばしょ)  Occasion:場合(ばあい))を大事(だいじ)にしているかどうか。

いくら先生(せんせい)や先輩(せんぱい)にあったとはいえ,所(ところ)かまわず大声(おおごえ)で挨拶(あいさつ)するのは間違って(まちがって)いるし,その人(ひと)が他人(たにん)と何(なに)か話して(はなして)いる時(とき)にするのもどうかと、本来(ほんらい),こうしたことは人(ひと)に教えられる(おしえられる)のではなく,自分(じぶん)でそのときの空気(くうき)を読む(よむ)こと,相手(あいて)を敬い(うやまい),相手(あいて)のことを考える(かんがえる)ことで成立(せいりつ)するのである。

しかし,そうしたことも出来ない(できない)、というのはどういうことだろう。いや,やればできるのに,やろうとしない。つまり,そのやり方(やりかた)を教わって(おそわって)いない、ということなのだろう。これは,目上(めうえ)の人(ひと)に対する(たいする)敬い方(うやまいかた)というのを指導(しどう)されていないということではないのか、だから、気(き)が付いた(ついた)人(ひと)から、行動(こうどう)に起こす(おこす)ことだ。


23 「利(り)の本(ほん)は義(ぎ)なり」----平成22年11月
論語(ろんご)を解説(かいせつ)する本(ほん)の中(なか)に、次(つぎ)のような文(ぶん)がありました。
「利(り)の本(ほん)は義(ぎ)なり~本当(ほんとう)に利(り)を得たい(えたい)と思う(おもう)のなら、義(ぎ)という根本(こんぽん)に立ち返らなければ(たちかえらなければ)いけない」「利(り)」を「利益(りえき)」とするなら、「義(ぎ)」とは何(なに)になるのでしょうか。

辞書(じしょ)で調べる(しらべる)と、「利害(りがい)を捨てて(すてて)条理(じょうり)に従い(したがい)、人道(じんどう)・公共(こうきょう)のために尽くす(つくす)こと」とあります。経営的(けいえいてき)に言う(いう)と「社会(しゃかい)貢献(こうけん)」(」)になるでしょうか。ある先生(せんせい)は、「企業(きぎょう)の究極(きゅうきょく)の目的(もくてき)は、社会(しゃかい)貢献(こうけん)である」とおっしゃっています。

まさに、このことを指して(さして)いるのかもしれません。「利(り)の本(ほん)は義(ぎ)なり」という言葉(ことば)が、どのような深み(ふかみ)をもって語られて(かたられて)いるのかわかりませんが、私(わたし)のレベル(れべる)に落とし込んで(おとしこんで)みると、「利益(りえき)を得たい(えたい)と本気(ほんき)で思う(おもう)のなら、人(ひと)のためになることを、まず何より(なにより)も必死(ひっし)になって考えなければ(かんがえなければ)いけない」ということなのかもしれません。

「私(わたし)の(エゴ(えご)の)世界(せかい)」という小さな(ちいさな)領域(りょういき)を守りたい(まもりたい)ために、「人(ひと)のためになること」を真剣(しんけん)に考える(かんがえる)習慣(しゅうかん)が、今(いま)までほとんどできていなかったのではないかと反省(はんせい)します。

「自分(じぶん)はどのような利益(りえき)を得たい(えたい)か」「自分(じぶん)はどれくらい利益(りえき)を得たい(えたい)か」など、自分側(じぶんがわ)の「利(り)」ばかり考えて(かんがえて)、他(た)の人(ひと)の「利(り)」とは何(なに)かを必死で考える(かんがえる)ことを疎か(おろそか)にしてきたようです。

顕在的(けんざいてき)なお客(おきゃく)様(さま)、潜在的(せんざいてき)なお客(おきゃく)様(さま)と真剣(しんけん)に向き合う(むきあう)ということは、ときに自分(じぶん)自身(じしん)がポキット(ぽきっと)折れて(おれて)しまいそうなほど大変(たいへん)なことかもしれませんが、それなくして「利(り)」を得る(える)ことはできないということを、肝(きも)に銘じて(めいじて)いきたいと思います(おもいます)。


24 平常(へいじょう)心(しん)と尋常(じんじょう)心(しん)----平成22年12月
安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)はこう言って(いって)おります。平常(へいじょう)心(しん)と尋常(じんじょう)心(しん)を大切(たいせつ)にしろ!平常(へいじょう)心(しん)とは、すべてを受け入れる(うけいれる)心(こころ)の状態(じょうたい)です。

尋常(じんじょう)心(しん)とは、見事(みごと)に立ち振る舞う(たちふるまう)姿(すがた)、その心(こころ)の在り処(ありか)です。その例(れい)とし、畳(たたみ)一畳(いちじょう)の幅(はば)の道(みち)を歩け(あるけ)と言われて(い)もほとんどの人(ひと)は歩ける(あるける)でしょう。では断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)の谷間(たにま)に掛けられた(かけられた)畳(たたみ)一畳(いちじょう)の橋(はし)を手(て)すりなしで歩け(あるけ)と言われれば(いわれれば)どうでしょうか?

おそらく、ほとんどの人(ひと)が立ち止まります(たちどまります)。足(あし)がすくみます。風(かぜ)がなくても体(からだ)が震えます(ふるえます)。これが異常(いじょう)な精神(せいしん)状態(じょうたい)です。道(みち)を歩く(あるく)と同様(どうよう)に橋(はし)を歩く(あるく)。

道幅(みちはば)も同じ(おなじ)、条件(じょうけん)も同じ(おなじ)、違う(ちがう)のは周り(まわり)の景色(けしき)だけです。同じ(おなじ)もの同じ(おなじ)ように捕らえる(とらえる)。これが平常(へいじょう)心(しん)であり、同じ(おなじ)ように経ちうる(たちうる)舞う(まう)。<(<)例(れい) 国家(こっか)の危機的(ききてき)状況(じょうきょう)に陥って(おちいって)いる今(いま)の現状(げんじょう)よりも民主党(みんしゅとう)議員(ぎいん)たちの保身(ほしん)と権力(けんりょく)だけの為(ため)に立ちうる(たちうる)舞う(まう)民主党(みんしゅとう)議員(ぎいん)の面々(めんめん)>(>)これが尋常(じんじょう)心(しん)であります。

しかし、中々(なかなか)難しい(むずかしい)ものです。些細(ささい)なことで腹(はら)を立てて(たてて)いない。また、そのつもりであっても、冷静さ(れいせいさ)が欠けて(かけて)いたり、注意(ちゅうい)が散漫(さんまん)になったり、平常(へいじょう)に心(こころ)を保つ(たもつ)ことはとても難しい(むずかしい)ことです。私(わたし)は普段(ふだん)から異常(いじょう)心(ごころ)になったときの癖(くせ)を身(み)につけるようにしております。

条件(じょうけん)反射(はんしゃ)です。『(()うめぼしを見ると唾液がでる。』日(ひ)に一度(いちど)、心(こころ)を落ち着ける(おちつける)時間(じかん)を設けて(もうけて)、かならずする仕草(しぐさ)を決めて(きめて)おきます。もし、自分(じぶん)が冷静(れいせい)でないと思った(おもった)ときは、その仕草(しぐさ)をその場(ば)で行います(おこないます)。

冷静さ(れいせいさ)を取り戻す(とりもどす)特攻(とっこう)薬(ぐすり)になります。もっとも冷静(れいせい)でないと感じた(かんじた)時点(じてん)で1つは失敗(しっぱい)をしているので完璧(かんぺき)な対応(たいおう)策(さく)とはいえません。しかし、同じ(おなじ)原因(げんいん)で何度(なんど)も失敗(しっぱい)を重ねる(かさねる)予防(よぼう)になります。どんなときも、平常(へいじょう)心(しん)と尋常(じんじょう)心を持てる人物になりたいものです。


25 利(り)において行えば(おこなえば)怨み多(うらみおお)し----平成23年1月
何事(なにごと)も利益(りえき)本意(ほんい)で行う(おこなう)と必ず(かならず)多く(おおく)の怨み(うらみ)を買う(かう)ことになる。

子(し)曰く(いわく)、君子(くんし)は義(ぎ)に喩(たとえ)り、小人(こびと)は利(り)に喩(たとえ)る君子(くんし)は平生(へいぜい)つねに善(ぜん)をなすことに志し(こころざし)、何事(なにごと)に臨んで(のぞんで)も、それが義(ぎ)(正(せい))に適するや(てきするや)、あるいは適(てき)ざるやを考え(かんがえ)、その後(そのご)進退(しんたい)取捨(しゅしゃ)を決する(けっする)。すなわち義(ぎ)のよろしきに従う(したがう)を主義(しゅぎ)とする。
 
これに反して(はんして)小人(しょうじん)は平生(へいぜい)つねに私利(しり)を謀る(はかる)ことに志し(こころざし)、万事(ばんじ)につけて利害(りがい)を目安(めやす)に進退(しんたい)(取捨(しゅしゃ)(を決する(けっする)。

すなわち利(り)にさえなれば、たとえそれが義(ぎ)に背く(そむく)ことであろうとも、そんなところには一切(いっさい)頓着(とんちゃく)せず、利益本(りえきほん)位(い)に打算(ださん)するのが小人(しょうじん)の常(つね)である 。

会社(かいしゃ)の不祥事(ふしょうじ)の日経(にっけい)関係(かんけい)記事(きじ)を読む(よむ)と論語(ろんご)がよく出て(でて)くるので、引用(いんよう)してみました。大企業(だいきぎょう)の不祥事(ふしょうじ)の多発(たはつ)や隠蔽(いんぺい)は、利益(りえき)追求(ついきゅう)が第一(だいいち)と考える(かんがえる)小人化(しょうじんか)社会(しゃかい)へ突き進んで(つきすすんで)いるからだとか-----


26 向上(こうじょう)向下(こうげ)の道(みち)----平成23年2月
人間(にんげん)は、人生(じんせい)の勉強(べんきょう)を重ねて(かさねて)、上り詰めた(のぼりつめた)ところに、究極(きゅうきょく)の仕事(しごと)が待って(まって)いる。

上り詰めた(のぼりつめた)とところとは、それは、各人(かくじん)のそれぞれの境遇(きょうぐう)にあり、誰(だれ)でも一定(いってい)の尺度(しゃくど)では計れない(はかれない)。ただ、あることを極めた(きわめた)人(ひと)は、それ相当(そうとう)な「言動(げんどう)」をするようになってくるが、その時(とき)、あることを極めた(きわめた)人(ひと)は、「向上(こうじょう)の門(もん)」から、いてで、「向下(こうげ)」をしなければならない。

それは、知らない(しらない)人(ひと)たちに、自分(じぶん)が体得(たいとく)したり、会得(えとく)したりした思想(しそう)をあまねく、広める(ひろめる)ことが人生(じんせい)の義務(ぎむ)ではないのか----このことを「向下(こうげ)の門(もん)」といわれている。

これは、藤尾(ふじお)秀昭(ひであき)氏(し)(致(ち)知(ち)出版社(しゃ)社長(しゃちょう))から、戴いた(いただいた)書状(しょじょう)・和紙(わし)に述べて(のべて)いる言葉(ことば)である。この言葉(ことば)は私(わたし)にとって、これからの「安岡(やすおか)人間学(にんげんがく)を進む(すすむ)道(みち)をを教えて(おしえて)いただいた」と考えて(かんがえて)います。

総合(そうごう)して、「向上(こうじょう)向下(こうげ)の道(みち)」というものだと思います(おもいます)。このことがきっかけで、今回(こんかい)の毎月(まいつき)のノ(の)-ト(と)に書いた(かいた)文言(ぶんげん)を纏めて(まとめて)見よう(みよう)と試みた(こころみた)のです。


27 人生(じんせい)はいつも今(いま)から----平成23年3月
世界(せかい)を代表(だいひょう)する三浦(みうら)雄(ゆう)一郎(いちろう)(1932年(ねん)10月(がつ)12日(にち)・プロスキーヤーは、昨年(さくねん)、また、アルプス(あるぷす)を滑降(かっこう)したようだ。現在(げんざい)もあくなき挑戦(ちょうせん)を続けて(つづけて)いる。

このような人(ひと)の言(げん)がこの言葉(ことば)である。三浦(みうら) 雄(ゆう)一郎(いちろう)は、青森県(あおもりけん)青森市(あおもりし)生まれ(うまれ)のプロスキーヤー(ぷろすきーやー)及び(および)登山家(とざんか)である。クラーク(くらーく)記念(きねん)国際(こくさい)高等(こうとう)学校(がっこう)校長(こうちょう)、全国(ぜんこく)森林(しんりん)レクリエーション(れくりえーしょん)協会(きょうかい)会長(かいちょう)。

父(ちち)の三浦(みうら)敬三(けいぞう)(けいも山岳(さんがく)スキーヤー(すきーやー)である。青森県(あおもりけん)出身(しゅっしん)。北海道(ほっかいどう)大学(だいがく)獣医(じゅうい)学部(がくぶ)(がくぶ)卒業(そつぎょう)。

三浦(みうら) 雄(ゆう)一郎(いちろう)は、66年(ねん)富士山(ふじさん)直滑降(ちょっかっこう)。70年(ねん)(ねん)エベレスト(えべれすと)・8000m(メートル)世界(せかい)最高(さいこう)地点(ちてん)スキー(すきー)滑降(かっこう)を成し遂げ(なしとげ)、その記録(きろく)映画(えいが)はアカデミー賞(しょう)を受賞(じゅしょう)。

2003年(ねん)に70歳(さい)で、2008年(ねん)5月(がつ)には75歳(さい)で、2度(ど)のエベレスト(えべれすと)登頂(とうちょう)に成功(せいこう)している。

スノードルフィンチームを作り(つくり)、今(いま)も存続(そんぞく)活躍(かつやく)している。三浦(みうら) 雄(ゆう)一郎(いちろう)は、いう、同級生(どうきゅうせい)で同じ(おなじ)スキー部(すきーぶ)とかスキー界(すきーかい)の連中(れんちゅう)を見て(みて)いると、「おれも60歳(60さい)だからスキー(すきー)やめる」とか「70歳(70さい)だから転んで(ころんで)骨(ほね)折っちゃ(おっちゃ)いけない」とか、守り(まもり)に入り過ぎてます(はいりすぎてます)ね。

僕(ぼく)の親父(おやじ)を見て(みて)も、90歳(90さい)だからやるんだとか、100歳(100さい)だからやるって言って(いって)、「やる理由(りゆう)」にしてたんですね、年齢(ねんれい)(を。やめる理由(りゆう)ではなくて。だいたい、もうだめだとか、腰(こし)が痛い(いたい)とか、否定語(ひていご)を話す(はなす)連中(れんちゅう)はどんどん弱ってます(よわってます)よ。自助(じじょ)、あるいは自分(じぶん)で生きよう(いきよう)とする力(ちから)が必要(ひつよう)です。

そのためには、基本的(きほんてき)に運動(うんどう)していること、栄養(えいよう)バランス(ばらんす)がいいこと、生きがい(いきがい)。この三つ(みつ)のバランス(ばらんす)が取れて(とれて)いれば、充実(じゅうじつ)した人生(じんせい)になるのではないかと思います(おもいます)ね。

2010年(ねん)10月(がつ)に、安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)の教(おし)えを確認(かくにん)する全国(ぜんこく)交流(こうりゅう)大会(たいかい)が松本市(まつもとし)で行われ(おこなわれ)、全国師(ぜんこくし)友交(ゆうこう)流会(りゅうかい)の3日後(にちご)に三浦(みうら)雄(ゆう)一郎(いちろう)の事務所(じむしょ)を訪ねる(たずねる)ことが出来ました(できました)。

どうしてかと言います(いいます)と、この時(とき)に参加(さんか)された交流会(こうりゅうかい)会員(かいいん)の中(なか)の1(ひと)人(り)が三浦(みうら)雄(ゆう)一郎(いちろう)と一緒(いっしょ)にスイス(すいす)登山(とざん)をするということをお聞き(おきき)しました。私(わたし)は実は(じつは)、かつて、長野県(ながのけん)の志賀(しが)高原(こうげん)にて、三浦(みうら) 雄(ゆう)一郎(いちろう)の率いる(ひきいる)スノードルフィンチームの一員(いちいん)であったことを申し(もうし)上げた(あげた)ところ、じゃ、一緒(いっしょ)に事務所(じむしょ)に行きましょう(いきましょう)といわれて訪問(ほうもん)しました。

このようなことも前述(ぜんじゅつ)のシンクロニシティ(しんくろにしてぃ)に、また、出会いました(であいました)。
三浦(みうら) 雄(ゆう)一郎(いちろう)は、2008年(ねん)7月(がつ)2(2)日(にち)の長野県(ながのけん)の信濃(しなの)毎日(まいにち)新聞(しんぶん)にスキー(すきー)で歩いて(あるいて)いる写真(しゃしん)の広告(こうこく)が載って(のって)いて、そこでも、こういっていました。
「老い(おい)は怖く(こわく)ない、目標(もくひょう)を失う(うしなう)のが怖い(こわい)」と!!


28 自靖自献(じせいじけん)----平成23年4月
致(ち)知(ち)出版社(しゅっぱんしゃ)の藤尾(ふじお)社長(しゃちょう)がお書き(おかき)になった、「安岡(やすおか)正篤(まさひろ)・心(こころ)に残る(のこる)言葉(ことば)」という言葉(ことば)を縁(えん)あっていただきました。

その本(ほん)に心(こころ)のこもった「為書(ためがき)」がありました。---差し上げる(さしあげる)人(ひと)の名前(なまえ)を記入(きにゅう)して、一言(ひとこと)、記念(きねん)の言葉(ことば)を添える(そえる)方法(ほうほう)を「ためがき」といいます。

それは、「自靖自献(じせいじけん)」と書かれて(かかれて)いました。素晴らしい(すばらしい)言葉(ことば)を知りました(しりました)。これは、『(()書(しょ) 経(きょう)』())の中(なか)に書かれて(かかれて)おり、「自靖自献(じせいじけん)」(自ら(みずから)靖んじ,自ら(みずから)を献(けん)ずるという熟語(じゅくご)が、書かれて(かかれて)いました。これは、「内面的(ないめんてき)には良心(りょうしん)の靖(やすし)らかな満足(まんぞく),外(そと)に発して(はっして)は,世(よ)のため人(ひと)のために自己(じこ)を献(けん)ずる」「我々(われわれ)は何(なに)のために仕事(しごと)をするのか,何(なん)のために会社(かいしゃ)はあるのかといえば,第一(だいいち)に自己(じこ)の主体性(しゅたいせい)・自立性(じりつせい)を練磨(れんま)すること,

自由(じゆう)を確立(かくりつ)することであり,進んで(すすんで)は,それによって発達(はったつ)する自己(じこ)を通じて(つうじて),何ら(なんら)か世(よ)のため,人(ひと)のために尽くさん(つくさん)がためである」職業(しょくぎょう):生活(せいかつ)の手段(しゅだん)だけではなく,人(ひと)・社会(しゃかい)への貢献(こうけん)という意味(いみ)がある.少く(しょうく)して、『(()安岡(やすおか)正篤(まさひろ)/人生(じんせい)を拓く(ひらく)の中(なか)で/神(かん)渡(わたり)良(りょう)平先生著(へいせんせいちょ)「天下(てんか)悉く(ことごとく)信じて(しんじて)多(おお)しとなさず.一人(ひとり)これを信じる(しんじる)のみにして少(しょう)なしと為さぬ(なさぬ)」(王陽明(おうようめい)『(()書(しょ)経(きょう)』・「「自靖自献(じせいじけん)」(自ら(みずから)靖(やすし)んじ,自ら(みずから)を献(けん)ずる「内面的(ないめんてき)には良心(りょうしん)の靖(やす)らかな満足(まんぞく),外(そと)に発して(はっして)は,世(よ)のため人(ひと)のために自己(じこ)を献(けん)ずる」「我々(われわれ)は何のために仕事(しごと)をするのか,

何(なん)のために会社(かいしゃ)はあるのかといえば,第一(だいいち)に自己(じこ)の主体性(しゅたいせい)・自立性(じりつせい)を練磨(れんま)すること,自由(じゆう)を確立(かくりつ)することであり,進んで(すすんで)は,それによって発達(はったつ)する自己(じこ)を通じて(つうじて),何ら(なんら)か世(よ)のため,人(ひと)のために尽くさん(つくさん)がためである」職業(しょくぎょう):生活(せいかつ)の手段(しゅだん)だけではなく,人(ひと)・社会(しゃかい)への貢献(こうけん)という意味(いみ)がある。

佐藤一(さとういっ)斎(さい)『言志四録(げんししろく)』
「言志四録(げんししろく)」とは、佐久間(さくま)象山(しょうざん)の師(し)で、幕末(ばくまつ)の鴻儒(こうじゅ)と言われる(いわれる)佐藤一(さとうはじめ)斎(さい)(1772~1859)の著書(ちょしょ)『(()言志四録(げんししろく)』())をご紹介(ごしょうかい)させていただきます。 

① 「言(げん)志録(しろく)」:文化(ぶんか)二年(にねん)(1805)に林(はやし)氏(し)の塾長(じゅくちょう)となられ、塾生(じゅく   せい)に講義(こうぎ)をされた。
    その余暇(よか)に感想(かんそう)を述べられた(のべられた)のが最初(さいしょ)の「言(げん)志録(しろく)」である。文政  (ぶんせい)7年(7ねん)(1824)に刊行(かんこう)された。

 ② 「言(げん)志後録(しこうろく)」:先生(せんせい)57歳(57さい)以降(いこう)、約(やく)十年間(じゅうねんかん)に亙(わた  る)って書かれた(かかれた)。嘉(か)永(えい)3年(3ねん)に刊行(かんこう)、
  嘉(か)永(えい)年間 1848年(ねん)~ 1854年(ねん)
  安政(あんせい)年間(ねんかん) 1854年(ねん) ~ 1860年(ねん) 安政(あんせい) 安政(あんせい)の大獄(たいごく)
 ③ 「言(げん)志(し)晩録(ばんろく)」:67歳(67さい)より78歳(78さい)までの約(やく)12年間(12ねんかん)に書かれた(かかれた)。
 ④ 「言志耋録(げんしてつろく)」:80歳(80さい)の時に起稿(きこう)し、筆力(ひつりょく)衰えず(おとろえず)、340条(340じょう)を2年後(2ねんご)に出版(しゅっぱん)。
                    以上(いじょう)の四篇(よんぺん)をまとめたものをいう。 

最後に

わたしは、ご縁(ごえん)があって、安岡(やすおか)正明(まさあき)(先生(せんせい)のご長男(ごちょうなん))と長野(ながの)県内(けんない)でご一緒(ごいっしょ)に勤務(きんむ)することが出来ました(できました)。そして、現在(げんざい)は、「安岡(やすおか)正泰(まさやす)(先生(せんせい)のご次男(ごじなん)・長野市に勤務した経験がある。)と親しい間柄です。ご縁を戴き、財団(ざいだん)法人(ほうじん) 郷学(ごうがく)研修所(けんしゅうじょ)・安岡(やすおか)正篤(まさひろ)記念館(きねんかん)にて、理事(りじ)を勤めさせて(つとめさせて)おります。ここで、法律(ほうりつ)の改正(かいせい)により、財団(ざいだん)法人(ほうじん)から、公益(こうえき)法人(ほうじん)へと国(くに)の認可(にんか)を得る(える)ため、全員(ぜんいん)で対応(たいおう)しているところです。安岡(やすおか)正篤(まさひろ)・安岡(やすおか)正明(まさあき)・安岡(やすおか)正泰各先生(まさたいかくせんせい)のホームページは「ユーズ(ゆーず)あずみ野(の)」という、私(わたし)のホームページ(ほーむぺーじ)から、見る(みる)ことも出来ます(できます)。  

※ ここに書かれて(かかれて)いる文章(ぶんしょう)等(など)は、基本的(きほんてき)には、安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)の著作本(ちょさくぼん)・私(わたし)が所有(しょゆう)している本(ほん)・並び(ならび)に、講義録(こうぎろく)等(など)を引用(いんよう)させて戴いて(いただいて)おります。また、辞書(じしょ)あるいは、安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生(せんせい)を直接(ちょくせつ)ご存知(ごぞんじ)の方(かた)の文章(ぶんしょう)も参考(さんこう)にさせていただきました。加えて(くわえて)、いろいろな各出典元(かくしゅってんもと)等(など)の用語(ようご)解説(かいせつ)等(など)の一部(いちぶ)も参考(さんこう)として、掲(けい)載(さい)しています。



松本時習会(まつもとじしゅうかい)は、
長野県時習会(ながのけんじしゅうかい)の松本(まつもと)で勉強(べんきょう)する会(かい)です。将来(しょうらい)は、長野(ながの)・上田(うえだ)・飯田(いいだ)方面(ほうめん)で、このような会(かい)を開催(かいさい)できるよう企画(きかく)しています。会費(かいひ)は、都度(つど)会費(かいひ)で、およそ一回(いっかい)当たり(あたり)、500円(えん)です。松本(まつもと)は、会員(かいいん)であるマンマミーヤ(まんまみーや)社長(しゃちょう)のご好意(ごこうい)で、毎月(まいつき)、この場所(ばしょ)を提供(ていきょう)していただいております。この時習会(じしゅうかい)は、長野(ながの)銀行(ぎんこう)の故安岡(こやすおか)正明(まさあき)会(かい)長(ちょう)が名前(なまえ)を命名(めいめい)しました。

出展(しゅってん)  論語(ろんご) の中(なか)の「学而時習之(がくじときにおいてこれをならう)」より
    子(こ)曰く(いわく)、学んで(まなんで)、而して(しこうして)、時(とき)に之(これ)を習う(ならう)。亦(また)、説(せつ)ばしからずや。

大意(たいい)  師(し)や書物(しょもつ)から、学んだ(まなんだ)知識(ちしき)を折々(おりおり)に思い返して(おもいかえして)、思想(しそう)や行動(こうどう)の上(うえ)に工夫(くふう)を凝らして(こらして)みる。これは、大変説(たいへんせつ)ばしいことではないか。
  
おわり 


全国(各地)師友交流會 日 時:平成22年10月23日(土) ~ 24日(日)
無事 終了いたしました。
当日は、100名の方々が、お集まりいただき、下記のご案内のような日程で、同じ安岡正篤先生を
勉強する会のかたがたが一堂に集まり、二日間その熱気と談笑に包まれ、安岡人間学をより強く
身近に感じました。今は、いろいろと対応ができなかった点もありましたが、無事済ますことができて、
本当によかったと思っております。
安岡正篤先生とのご縁をご紹介いたします。

① 池田魯参 駒澤大学仏教学部教授ーーお父上が「先生のご紹介で    村上素道老師の弟子となった。」
  現在 長野県 豊野町の柳原寺のご住職でもある。お父上は、「池田  耕山」といって、過去に長野県時習会でご講演をお願いしました。

② 中嶋君忠 中嶋製作所社長ーーお名前に注目してください。きみにちゅうです。この社長のお父さんが、
  天皇陛下に如何に忠誠をしていたかが感じられます。今回、原寸をそのまま印刷された「終戦詔勅」を
  出席者全員に頂戴いたしました。これらのことができたのは、私との   関係は、長野JCの先輩・私後輩の付き合いが1980年より今日まで、続いた結果でした。

③ 深澤賢治・中斎塾主幹ーー先生は、論語を主軸に一年中、全国にご講演している方です
  財団法人 安岡正篤記念館・郷学研修所の評議員をしている方で、著作「陽明学 Ⅱ」を出席者全員に配布して
  いただきました。


  先生の好きな言葉は、次のとおりです。 
 
  「利によりて、行えば、うらみ多し」です。そこへ非才の私が付け加え   ますと反対の言葉として、

  「義によりて行えば、利多し」・


安岡先生は「義は利の本なりといっております。」(安岡正篤先生の言葉集より)

安岡正篤・安岡正明・安岡正泰の全国師友交流会の当日の写真

(財)郷学研修所・安岡正篤記念館安岡理事長・顧問代読土屋上田市会議員・長野県時習会増田代表・同杉原事務局長・池田魯参講師・中嶋君忠講師・
会場内1・
会場内2の順

全国(各地)師友交流會 日 時:平成22年10月23日(土) ~ 24日(日)の開催についてこの会は、安岡正篤のご長男.長野銀行元頭取安岡正明が設立した安岡人間学の勉強会です。
      安岡正篤先生のことを知るチャンスです。費用等は、下記を参照してください。
連絡および参加希望者は、FAX 0263-83-4646
            MAIL info@useazumino.com  へ


安岡正篤.人間学のHP 財団法人 郷学研修所 :ユーズあずみ野
、                主催 長野県時習会 共催 関西師友協會 後援(財)郷学研修所  
日 時:平成22年10月23日(土) ~ 24日(日)
場 所:ホテル モンターニュ松本(松本駅アルプス口)TEL:0263-35-6480 0263-35-6480
内容参加者 100名予定
 1.平成22年10月23日(土)
    受付開始:10月23日11時30分
    オリエンテーション12:30~12:50
写真撮影:12:45~13:00
    開 会 式:13:00~
    講 演①:13:30~14:50 池田魯参 駒澤大学仏教学部教授
    休  憩:14:50~15:00
    講 演②:15:00~15:15 中嶋君忠 中嶋製作所社長
    講 演④:15:30~15:45 深澤賢治・中斎塾主幹
    見 学 会:16:00~17:30 (松本城又は博物館)
      バス2台にて      (ホテル着)
    懇 親 会:18:30~20:30 (貞享義民太鼓演奏)
    各地交流会:20:30~
 2.平成22年10月24日(日)
   ホテル出発: 9時00分----貸し切りバス
    貞享義民記念館:  9:30~11:00
    穂高神社お祓い: 11:20~12:00 (ご神殿にてお払い)
    スイス村(昼食)   12:00~13:00 (おみやげ等買いもの)
    松本駅解散    13:30頃
 
3.会費の件
  1) 講演会のみ参加    ¥3,500円  
  2) 講演会・懇親会参加  ¥7,500円     
   3) 翌日のみ参加     ¥5,000円
4) 宿泊者(フル参加)    ¥19,500円
..記念品贈呈の件..
  「終戦詔勅」(幅30cm×135cm横一)・「教育勅語謹解」セット
中嶋君忠氏---「終戦詔勅」は安岡正篤記念館掲示のもの
「陽明学のすすめⅡ」 深澤賢治氏---財郷学研修所 評議員中斎塾主幹
当日、出席者全員に、上のお品2つを贈呈いたします。


-2009年12月5日土曜日 国際21にて
   長野県時習会総会開催 
 

平成21年12月5日(土)午前10時00分開会しました。
 第55回 安岡正篤先生の勉強会
            安岡正篤先生のご長男は、長野銀行元頭取の安岡正明です。


** 昨年の12/5ご案内の長野県時習会の勉強会の写真ができました。ご覧ください。
     講師財団法人 郷学研修所 荒井所長**

http://www.useazumino.com/21125nagano.html

  ** 論語の中の「子路」についてのみの講演・安岡元頭取が部下にあだ名をつけた--ミスター子路・「長野県時習会代表」の講演 ** 

http://www.useazumino.com/21125naganosiro.html


安岡正篤先生は、「終戦詔勅の修正」・「歴代総理の指南役」・「平成の元号を名づけた先生」です。

例えば、、「終戦詔勅の修正」とは、8月15日に「天皇陛下がマイクロホンに向かって、よく聞き取れないことを言っていた」のを
テレビ等で見たことがありませんか、その中の文章を直した学者が、安岡正篤先生です。
なんていってたかを簡単にお話しましょう。
「日本の国は、戦争に負けたから、戦争を終結を宣言するのではない。世界平和を望んでいるので、戦争をやめます。」と、書きなおしした。それを漢文調で言うと「太平を開かんと欲す」といっています。
  
 
                           主催 「長野県時習会」の開催。


 講師は、財団法人 郷学研修所 所長 荒井 桂先生(元埼玉県教育長)
     
 演題 「論語の中の子路について」--論語の中から、取り出した、唯一の活躍する高弟を抽出して、講演する。

     安岡元頭取から、在勤中に「ミスター子路」と呼ばれていた人が講演をいたします。

     この男の方は、長野県時習会の代表さんで、長野銀行の元支店長さんです。

  費用 6500円----昼食つき会員
      3000円----昼食無し、講演会のみ(ボトル1本付き)
    
 
  講演 ホテル国際21(長野市)  昨年は「弥生の間」で行ないましたが、本年は、打ち合わせ後、

     ブログに載せます。受付を用意してありますので、ご来駕ください。

      
        
 「長野県時習会」
      ---安岡正篤先生の勉強会

 創立者 安岡正明長野銀行元頭取

長野県時習会の本部・内容は、次の通りです。

安岡人間学・安岡正篤先生・安岡正明先生・安岡正泰先生と安岡正篤先生の本拠地 
財団法人郷学研修所

このコラムは、安岡正篤・安岡正明・安岡正泰各先生ご一家と安岡正篤先生の勉強会です。

  
 安岡正篤・安岡正明・
 安岡正泰各先生
 安岡正篤先生と
 ご家族のお写真集         

           
  
  
                    

 安岡 正明 先生の経歴
          
                         荒井桂 研修所長                         

 安岡人間学の本部
 安岡正篤先生の本拠地

 郷学研修所 -埼玉県比企郡嵐山町菅谷671
 荒井桂 研修所長/安岡人間学語る
 安岡正篤先生の足跡                            郷学研修所

 安岡正篤先生・生誕100周年記念大会     
      京王プラザホテルにて

 19.2.13 安岡正篤先生の25回忌
 埼玉県 嵐山町 郷学研修所
 おいてしめやかに行なわれました。
 於 安岡正篤記念館 旧日本農士学校
 安岡家代表のご挨拶   安岡正泰先生
 郷学研修所代表ご挨拶 吉 田 先 生
       ご挨拶の内容公開     
 毎年11/23の金雞神社社稷祭のご案内

 安岡正篤先生の全国の関連団体のご案内
 安岡正篤先生永眠の地のご案内

 安岡正篤先生誕生の地「四条畷」へのご案内

 平成19年12月1日(土)午前10時00分
 第53回 安岡正篤先生の年1回の勉強会
     「長野県時習会」の開催。

 講師は、安岡記念館理事長
       安岡正泰先生演題 
 自著 為政三部書を学ぶ {三事忠告}
       講演 国際21(長野市) 
       弥生の間 32名出席
 
 「長野県時習会」
      ---安岡正篤先生の勉強会

 創立者 安岡正明先生

 長野県時習会10周年記念大会

 10周年記念写真へ
 

 平成19年度の長野県時習会総会 
 20年12/1開催の例会内容  安岡正篤人間学   
       ご案内状と勉強
       国際21弥生の間/長野
 「為政三部書を学ぶ」出処進退の人間学
 郷学研修所
 安岡正篤記念館理事長 
 安岡正泰著

    
     安岡正泰先生の直筆で会員に為書中

 安岡正篤先生の活動/松本市管内
     直近報告19.12.13
 日程と規約 松本時習会」
 昨年の活動は、
 ・・時間は、毎回14時30分~16時30分 迄
 松本時習会設立平成19年1月設立

 安岡正篤先生の「一日一言」を 「一言」づつ、複数、行います。
 折角の機会ですので出席者自身話し合いの中で理解しながら、
 考えを出し合って、実行に移して 行きたいと考えております。 
 興味のある方ご参加下さい 本年 いくつすすむかな・
 本年度予定は。

 本年の予定は次のとおりです。
    [座長は、杉原氏にお願いしました。]
  
 
例会場 マンマミーヤ 松本市 会費 コーヒー代等
          
                                   先生の一生を長野県時習会による発刊の
                                  「安岡正篤の生涯」をテキストとして、
  本年度のテキストです365言                使用しました。
              
 

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